あの親にして市橋あり

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遂に市橋が捕まった。
捕まった途端に、急に饒舌になった市橋の両親の非道な感覚には、違和感満載だ。

親に刑事的な責任は問えないし、問うつもりもないが、遺族に対して心から申し訳ないという気持ちはないんだろうか?
少なくともマスコミが垂れ流している顔の隠された映像による市橋父母の言動には、欠片ほどもそれが感じられない。
マスコミは続けて当たり前のように被害者の両親の映像、コメントを流している。
流すだけで、この二者の感覚的落差については、一言も触れない。
感想は視聴者にお任せってことか?
無責任で無感情で無神経な市橋父母の言動をただ垂れ流されても、観てる側には虫酸が走るだけだ。

それどころか、番組(コメンテータ)によっては、市橋の両親に同情的ですらある。
確かにとんでもない親不孝者ではあるが、法治国家において社会的にその次元で済ませていい話じゃないだろう。

刑の確定を待たず、敢えて言おう。

市橋の親の言い分を聞くにつけ、このDNAが鬼畜を産み落としたというのが真実だろうと感ずる。
恥を知れ。

第三次角福戦争

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鳩山の資金問題なんか、どうでもいい。
限度はあるにせよ、時の総理に大なり小なりそんな話があるのは、いわば必要悪というものだ。

そんなことより問題は小沢の動きだろう。
結局、小沢が今やってるのは、民主党を森以前(小泉より前)の、最も自民党的だった自民党にしてしまおうということだ。

民主が経世会ならば、今こそ自民は小泉路線を実効化すべく備えよ。
もう、こうなったら第三次角福戦争へと突入だ。

冤罪=無罪?

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DNA鑑定の黎明期に捜査された事案が、現代の技術をもって再鑑定され、冤罪と断定され、結果として当該被告人が改めて無罪となるケースがある。
このような裁定に何らの疑問を差し挟むものではないのだが ─

当該事案で無罪を勝ち得た者が、来る未来に再び被告人になるような気がしてならない。

どのような嫌疑か断定するものでもないし、単なる虫の知らせ、つまりは特段の根拠もない至極主観的な憶測としか言いようはないが。

創業当初、半官半民だった日航が、その体質がゆえに最悪の事態に陥っている。
このニュースと並行して、日本郵政 西川辞任もまた淡々と報道されていることに大いなる違和感を感じざるを得ない。

問題の本質は西川が経営のトップであり続けるかどうか ─ ではないのだが、この流れの先に見えてくるものに気づかないほど、我が国の報道機関は愚かなのだろうか。

郵政OBは、いずれ年金をカットされてしまう状況に陥ることを覚悟しなければならなくなるかもしれない。

国交相 前原の「羽田ハブ化」発言が物議を醸しているという。
なんでこの発言が物議になるのか理解に苦しむところだ。
今の今まで羽田がハブでないってことのほうが相当に疑問とするのが世界的な常識だろう。

無能な千葉県知事が駄々をこねた件は、あまりに低レベルで問題外だ。

そもそもこの件に関する前原発言に「地方切り捨て」といった要素は微塵もない。
多少口下手なきらいはあるものの、羽田のハブ化が国はもとより地方にもたらすであろう経済的メリットについて、政治や報道に携わる者なら気づいて当然だと思うのだが。

自民党幹事長の大島はこの件に関連して、
「トップダウン的な進め方が多い傾向が問題」
というようなコメントをしているらしいが、呆れた言い草だ。

我が国の政治はとにかくスピード感がない。
いわゆる「失われた十年」が、10年余を費やしたのも大方この体質のせいなのだ。
他の先進国なら、たとえ一旦不況に陥ることがあっても、その回復に10年もかかったりはしない。

正論を言う大臣が足を引っ張られるのを眺めているのは、たとえその所属が強く支持する政党ではなかったとしても、気分の悪いものである。

一方で、自民党はこの程度の能力の人材しかいないのか、こんなヤツが幹事長を務める程度の政党だったのか、とがっかりするばかりである。
ろくでなし総裁の下では、低能な執行部にしかなりえないということか。

下野してしまったからこそ、より有能な体制を取るべきだったのではないか?
前執行部は最悪だったが、さらにその下をいきそうなレベルのヤツらを顔に選んでしまう自民党員の見識もまた地に堕ちたのだろう。

麻生太郎の真実

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今さらだが、どうやらシークレットブーツらしい。

ついでに言うなら、拉致問題に特に貢献していないにもかかわらず、あのバッヂを着け続けていた厚顔無恥さがおぞましい。
愚かなパフォーマンサー。

ヤツが、過去の人となっただけでも我が国にとって喜ばしいことである。

荒川静香に似てる有名人

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バービー、あるいは片桐はいり。

彼女らを褒めようというのではない。
いやむしろ、彼女らは自覚している潔さと美しさがあろう。

荒川の意識のズレが、恐ろしい。

言っておくが、私自身は、若手と言われている代議士たちより(若干)若い。
本稿はこれを踏まえて心して読んでいただきたい。

何やら、自民党再生会議といった討議を活発に行っているようで、大いに期待したいと思って見守っているところなのだが、本日の一部報道によると、「総裁」を「党首」に改めようとの意見が出されているらしい。

「党首」という呼称は、極々一般的なものである。
おそらくは、欧米語に訳すならば、「総裁」も「代表」も「委員長」も一語(程度)に尽きてしまうことだろう。

ここで、自民の若手に今一度しっかりとした再考を促したいのは、本来ならば、自民を支持している層の求めている思想、生き方、考え方、である。
つまりは、「保守」なのである。
保守的思想が、年配者だけのものだとでも考えているのだろうか?
もしそうだとしたら、奴らはとんでもなく間違っている。
もしそうだとしたら、奴らが自民党である必要もない。

先日、日本語に対するアンケート調査の結果、母国語を大切にしたいと考える若者が、かつてない割合で増えたという事実を奴らは知らないのであろうか。

「党首」が極々一般的であるがゆえに、やや軽薄な印象を感じてしまうのは、私だけではなかろう。
この呼称を使っているのは、社民をはじめとした、弱小(あるいは僅少)勢力に限られている。
僅少であるがゆえの慎ましさを感じるものではあるし、現時点でこの呼称を使っている党に対しては、何らの違和感も感じないし、むしろ好ましく感じるものである。

しかしながら、一体、自民党は、弱小を目指すのか?
若手代議士諸兄に問いたい。
─ お前ら、本当に、そんなつもりなのか????

現代の我が国において、真に保守と言える政党は、自民以外にないのである。
そして、当然のこと、国民(=有権者)の半数、もしくはそれ以上は、時代がどれほど移り変わろうとも保守的思想を是としているのである。

たまさか、国語力皆無の総理が史上最大に支持を減少させてしまったからといって、本来の支持層に背を向ける気なのであろうか?

再生会議というのならば、呼称云々というようなつまらない論議ではなく、もっと本質的な問題について争ってほしいものだ。
無論、それらの点についても、当然議論しているのではあろう。おそらくは、この呼称論議そのものは、若手の中でもごく一部の、思想も主義もない(=政治の資格がない)愚者が、血迷っただけの愚論だろうと信じたい。

「総裁」以下、多種多様な表現をもつ日本語の奥深さをしっかりと噛みしめてほしい。
これらの表現には、それぞれに微妙なニュアンスを漂わせつつ、れっきとした意味合いがこもっているのだ。

願わくは、自民が自民でなくならないことを強く望む。

首長がのさばる不幸

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新政権は、補正予算を見直し、選挙で掲げた政策実現のために、改めて組み直したい意向だ。
マスコミが言うような、「未執行分」云々という軽薄な分け方をするつもりもないだろうが、そのまんまが「取り上げるなら訴える」みたいなことを言うもんだから、報道も、中央の政治家も、これに同調する雰囲気が蔓延している。

まぁ、実際組み戻すのも簡単な話ではないだろう。
とはいえ、まっとうな有権者なら、易々とこの流れに組してはならない。

千葉では、相次ぐ職員の逮捕(詐欺等)を受け、新任の森田知事が調べさせた結果、県庁ぐるみの不正経理が暴かれた。
その額、5年で約30億。年間予算で換算すれば、0.03〜0.04%という微々たるものだが、そうだからこそ、この調査もずいぶん手ぬるく計算したんだろう。
消耗品費に限って言えば、約半分が不正だったということのようだから、全体での割合ももっと多い、つまり、総額は桁違いなんじゃないかと疑ってみてもおかしくない。

こんな茶番な調査で、森田は「俺、ちゃんと調べたぜ」「俺が暴いてやったぜ」とでも、言いたいのかもしれないが、要するに、知事本人が関与していなくとも、その部下である地方公務員は相当信用できない人種だってことなのだ。

無論、これは千葉に限った話ではない。
宮崎や大阪は、すでにきれいにしたつもりでいるのかもしれないが、市民感覚からすれば、まだまだ叩けば埃は出る。むしろ、埃だらけだってことなのだ。

新政権が取り上げたとして、どれほどの効果があるかは未知数なのだが、今より「無駄遣い」を減らせるなら、それだけでも意味あることだろう。
また、市民感覚に合わせるべきは、無駄を省く部分についてのみであり、その成果は、単に大衆迎合的ではなく、もっと大局的な観点で求めるべきものだ。

この際、地方の長どもは、小賢しい法律論を振りかざすのではなく、一旦、潔く、新政権に預け戻してみるべきだ。

おそらくは、再配分したところで、まっとうに考えて地方で使われてしかるべきものが大半であろう。
使途を多少組み替えられることにまで抵抗する首長は、不正への疑いがより濃いとみるべきだ。

放送人への警鐘

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番組評 - 「こだわり人物伝」/ 某国営放送(教育)

今しがた、放送していた森有正の回は酷い。これ以外の回を観ているわけではないので、比較的という意味ではなく、全く酷い。
貴局の知的好奇心に応えようとする姿勢、試みは決して悪くないのだが、今回の片山なる人物によるあまりにもいい加減な解説は聞いていて嫌悪感すら覚える。
大衆へ向けて、「知的好奇心に応える」形で何らかの解説をするのであれば、その解説自体に一定の水準を求めるべきだ。
一体、片山はどこまで森をわかってしゃべっているのか。
無論、会ったことのない人間について話しているのはわかるが、片山の弁は、単なる私見に過ぎない。
この程度の私見をもってして、私の「こだわり」人物伝などと言って、無防備な大衆に実際とはかけ離れた情報を垂れ流すなど、現代社会にあってはならない蛮行だ。
歴史的な人物について、「実験的に」という前提で、特定の現代人がその私見をもって、表面的な史実とは別の角度から洞察をするということであれば、それも良いだろう。
しかし、この回の放送については、仮にこの前提に立ったとしても低レベルと言わざるを得ない。
ましてや、対象としているのが哲学者である。
哲学者のある思想を、入門的に解説するような番組はあってもよいが、ならばもっと全く別な表現になるはずだ。
よくよくその思想を理解すらしていない某現代人が、さもそれが真実であるかの如く語るようなスタイルは適さない。
片山の理解が十分でないがゆえに、すべての解説の語尾が曖昧形であり、そのことをもってして、解説者として、あるいはそれを流す放送局として、なんら断定しているつもりはない、などと言おうものなら、それは詭弁である。
この事実に気づくのは一部の知的な者にかぎられ、その類いの者は、好んでこのような番組は観ない。
この番組が知的には未熟でありながらも、「知」への欲求をもつ者へ向けられたものである(少なくとも貴局の謳い文句はそうである)以上、真の知とは言えない代物を喧伝する傾向が強いのだから。