人生のパスポート

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読書は、一義的には言語教育、それと同時に情操教育においても大きな意味を持つ。言語、情操は、言い換えれば「ことば」と「こころ」である。この二つは人間と他の動物を分ける大きな特徴であり、人として生きるためのパスポートのようなものだと言えよう。この「人生のパスポート」は選択的に与えられ、あるいは身につける「資格」というよりは、むしろすべからく保障されるべき「権利」なのである。
児童生徒はこのパスポートを持ってはじめて他の教育(教科)の「ビザ」を発給されるのだ。言語教育、情操教育はその他の教育の基礎あるいは中核をなしており、これなくして成り立たないのである。また、教育のみならず、児童生徒が個々の将来を思い描き、社会に出て実践し、ときとして挫折を味わい、困難に見舞われ、岐路に立たされるような場面においても大変重要な役割を果たすであろう。

この人生必携のパスポートは学習や社会における様々な場面で欠くことのできない基本的な要素を多く含んでいる。言語教育とはすなわちリテラシー(読み書き能力)を育むものであり、情操教育とは心の豊かさ(創造性、想像力、情緒)を育むということである。加えて「ことば」と「こころ」の双方と深く結びつくコミュニケーション能力(語彙力、表現力)についても見逃すことはできない。
既に21世紀も5年を過ぎ、高度情報化、国際化の波の加速度も実感、体感として浸透してきているところである。情報リテラシー、あるいはメディアリテラシーというような言葉を見聞きする機会も多い。現代、そして今後の社会において、これらの情報を的確に見極め、取捨選択し、有効に活用する能力が不可欠であることは言うまでもないが、これらが従来形のいわゆるリテラシーに取って代わるわけではないという点に留意しておかなければならない。
現在の紙メディアである本が、すぐにすべて電子メディアに移行するなどということは考えにくいが、将来的にそうなったとしても、読み書き能力という意味でのリテラシーの必要性、有用性は強まりこそすれ、不要になるわけではない。デジタル化された膨大な量の情報を、受け手として適切に処理する能力自体が、本来的なリテラシーを備えてこそのものであるということだ。
そもそも高度情報化、あるいはデジタル化といっても、あらゆるコンテンツやプログラムそのものは、すべておおもとを辿れば人間の手によるものにほかならない。無論、生身の人間はデジタル生成物などではなく、作り手、あるいは発信者としてそれぞれに要求される高度な技術とともに、その基盤として当然にリテラシーを必要とされており、これも将来的に変わることはない。端的に言えば、デジタル化によるコミュニケーションの主な利点の一つは、誰もが単に受け手ではなく発信者ともなりうるという点であり、個々人がその可能性を拡げるためにも、従来にも増して、いわゆるリテラシーあるいは創造性やコミュニケーション能力に対する要求、欲求は高まるであろう。

 このように普遍的に必要とされる人生のパスポートは、本を読むこと、中でも「自由読書」によって、ある種自然発生的に得られるのである。課題として強制的に、あるいは義務的に読まされるのではなく、とりたてて主題や内容を限定されることもなく、あくまで個々人の自由な意志によって選び、読む「自由読書」は、自発的、内発的に感性を育み、知的欲求を生み出し、知性を開花させる。また、本を読む習慣によって集中力を高めるといったような副次的効果も得られ、その結果として読み書きのみならず、聞く力や話す力をも発達しうる。言語教育においては第一言語(母国語)、あるいは第二言語においてもこのことは効果的である。さらに読書を通じた他者との触れ合いの場として、ブックトークなどの活動に参加することにより、コミュニケーション能力の発達においても大きな意味をもつだろう。
「自由読書」は読書好きへの近道でもある。一旦読書好きになれば、あとは生涯、ごく自然に本とともに歩むであろう。人生を豊かにし心を育むパスポートを手に入れるにあたっては、特別にややこしい手続きは不要なのである。

科目:読書と豊かな人間性
課題:読書の意義と目的について述べなさい。

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