赤坂タイムラー

Digital Sympathize.

公開日
文責
アカサカ ヒカル

私はそもそもデジタル万能論者ではない。ハードであれソフトであれ、それらを使うのもまた作るのも人間であり、人間自体はまさしくアナログな存在なのだから。
ビジネスの立場であっても、この大前提は変わることはなく、むしろより緻密なアナログ的要素が求められるのだと思っている。商売において「川上」や「川下」と言われる起点、あるいはその過程におけるそれぞれのポジションには必ず「人」が主体的に介在している。どんな商売であれ、何らかの形で人と人を結ぶという役目を負っていると考えるならば、根源的にはアナログ以外のナニモノでもないのだ。
これを突き詰めると、「心」の大切さがよりクローズアップされる。
私の感覚では、特にビジネスにおいて、あらゆるデジタルデバイスは、人がより「心を込めるべき業務」に専念できるよう、無駄(ロスやミス)を省くためにあるのだ。つまりアナログな活動(商売)をする上での補完的な役割をなす道具と言えよう。
21世紀も早6年目、デジタル化は休むことなく進んでいるし、これからも衰えることはないだろう。その推移だけを見れば、肯定的/否定的、両方の意見がある。
大変残念なことに、一部の心無い利用者の存在によって、負の部分が多く取り上げられてしまうのは、時代を拓く潮流にとっては世の常であろう。だからといって、偏った見方に終始するのは、心のこもったビジネスを展開しようと考える上で、正しい判断とは言えない。
本来、インターネットは大変便利なものであり、また反面、少なからず危険性をはらんでいるというところまでは、日常的な実感としても一定の理解をされているところだろう。例えば、即時性や汎用性といったデジタルならではの利点についてはわかりやすく、一般的にも浸透していると思う。
しかし殆どの場合アナログに帰結するビジネスにおいて、より効果的にこのデジタル・ソリューションを活用しようとするならば、より深度のある理解が必要となってくる。
より深い意味でビジネスに有用なインターネットの特性 ─ それは、透明性あるいは公平性というようなものなのだ。もちろんこの特性はビジネスであるかどうかに関わらず、インターネットというテクノロジーが宿命的に持っているものなのだが、商用利用が一般化した現在、そして将来においては、この原理的特性に対する理解度によって、そこから得られる効果あるいは利益を大きく左右すると考えられる。
これは日本ならではの例かも知れないが、しばしば「ヴァーチャル」と言う場合に「非現実」とか「非日常」といったニュアンスが込められているように感じる。実際は virtual reality(仮想現実)の意味であり、これは「非」とはやや異質なものだ。「仮想」という日本語も少々おぼろげなイメージだが、そもそも英語の virtual は「(表面的には違っても)実際は~である」という場合に使われる言葉であることを鑑みると、否定的ニュアンスではないということはお分かりいただけるだろう。
つまり、より積極的に現実に近い想定をデジタル・ソリューションによってシミュレートするという考え方に基づいているのであり、その結果は「ほぼ現実」さらには「もう一つの現実」とも言えるものなのだ。
ネットショップを例にとれば、従来「店舗」と呼ばれていたスペース(空間)の部分が仮想なのであり、そこで買った物までもが仮想だとしたら、それは「おままごと」か「詐欺」でしかあり得ない。
このような virtual は、なにもデジタルの専売特許なのではなく、疑似的に昼間の明るさをもたらす電球にも、目の前にいないのに会話ができる黒電話にも、人間が文明の進歩とともに生み出してきたありとあらゆる道具のほぼすべてにあてはまる要素なのだ。
インターネットをメディアと捉えた場合に、従来型のメディアと比べて、そこにあるリアリティがいわゆる「現実」とほぼ同等であるという点で大きく前進した形なのだと言えるのではないだろうか。これはある種の「壁」あるいは「保護」を取り払う指向だから、安全性や独占性を奪う面も持ち合わせているのだが、少なくともボーダレス化、グローバル化を志向する社会の要請には適合しているのだ。
業種によってこの指向性に対する賛否があるのも事実だが、一義的な利益に照らし合わせてみても、さらには積極的に将来展望を考える上でも、この指向性に沿い、あるいはそれを的確に捉えることは有意義と考える。
ネットのビジネス利用が一般化し、日々盛んになっていく中で、ともすると強迫観念的なイニシャチヴに惑わされがちな危うさも併存している。いわゆる IT 関連企業はいまだに玉石混交しており、主にビジネス利用者をターゲットとしたものの中には「まやかし」に近いものが多い。
現実の世界で「ウマイ話はない」と言われるのと同様、やはり現実であるネット上においてもウマイ話などないのだ。一見、ウマイように思える話の大半は、ほんの瞬間的なウマ味でしかない。無論、偉大な成功例も相当数あるが、それらは単にウマイと言うようなものではなく、実際には明確なヴィジョンや素晴らしいアイディアに裏打ちされたものなのである。そしてそこには必ず、少なからず心のこもった姿勢がうかがえ、そのことがネットの原理的特性に沿う結果となっているからこその成功と言えよう。
インターネットは決して魔法の玉手箱ではない。トリッキーな手法で儲けを狙っても、そこから得られるのはせいぜい一過性の利益、そして場合によっては、ネットの原理に従った莫大な損失だけだろう。実業を営む上では、ネットであっても「心」なくしては奏功しない。従前の社会構造より数段進化した「透明性」と「公平性」を帯びているからこそ、必ずその先に存在している「人」に配慮し、そういった点での親和性が高ければ、従来計上できなかったような利益を生み出す。しかし万が一、原則に反する場合には、その特性ゆえに、従来以上の損失を被ることは言うまでもない。
よりきめ細かいサービス、心のこもったビジネスを展開していこうという意識をもつことが肝要なのであろう。魔法の玉手箱ではないが、魔物が潜むブラックホールでもないのだから。