いじめを苦にして自殺した子たちに、
私はあえて心を鬼にして告ぐ。
「君たちはなんて馬鹿なことをしたんだ」と。
死んで一体なんの得になるんだ?
死者は咎められない、などと勘違いしてはいけない。
咎められないのではなく、咎めないだけだ。
自ら命を断つということは、苦から逃れているつもりで、
さらに大きな苦に飛び込んでいるだけなのである。
人は生きていれば、多かれ少なかれ何かしらの悪事を働く。
しかし生きていれば、その責めを負うことができ、
生きている間に償えれば、死後は楽であろう。
いじめた子たちは、君の思い通り、
生きている間に、君を死なせたことへの責め苦を受けるであろう。
誰から何を言われなくとも、自らがいずれ苦しむときが来る。
そのときに君はどこかで笑っていられるのか?
いいや、君はどこかでもっと苦しんでいる筈だ。
たったひとつしかなかった君の命を自ら断ってしまったことを、
君自身の魂が君を責め続ける世界にいるのだ。
生きて償いを終えたいじめっ子は、
いつか寿命が来て、晴れて死後、楽を味わう。
かたや君は、すでに死後だ。
君自身に永遠に責められ続ける。
いま、生きていて、いじめられている子たちに告ぐ。
「絶対に自殺するな」
誰からも愛されていないと感じているんだろう。
それでも死ぬな。
もしそうだとしても、君だけは君を愛し尽くして欲しい。
今は誰もいなくても、君がそうして生きていれば、
生きている間に、必ず、君と同じように君を愛する人が現れる。
生きていれば、いつか必ず晴れる。
子どもの頃にいじめられた経験をもって、
でも、いま、生きている大人はたくさんいる。
その人たちが生きている意味を考えて欲しい。
いじめっ子の親たちと、
いじめられっ子の親たちと、
すべての子どもたちの親に告ぐ。
「子どもを愛しなさい」
すでに愛しているのならもっと愛しなさい。
十分だなんて思ってはいけない。
愛に限りはないのだから。
愛し続け、愛し尽くし、それでもさらに愛しなさい。
親たちと、教師たちと、
すべての大人に告ぐ。
「怒ることは放棄せよ」
怒るというのは負の感情の暴露である。
大人同士ならそれもまあよい。
しかし目下の者、まして子どもに向けるべき姿勢ではない。
決してない。
「怒る」と「しかる」はまったく違う。
間違ったことをした子どもにはしかるべきだ。
大いにしかるべきだ。
しかることができているとき、そこには必ず愛がある。
しからなければならないときは、しかりなさい。
しかった後に、必ず自らを省みなさい。
ちゃんとしかれたか。
あなたの愛をちゃんとそこに盛り込めたか。
本当に愛しているのなら、体裁は捨てなさい。
*
国が、社会が、学校が、家庭が、悪いと言うことは簡単です。
しかしそれらを構成しているのは、とりもなおさず
わたしたちひとりひとりです。
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