読書の指導方法。─図書館という空間に少なからず親しみを感じ、自ら選択する職業の候補に司書や司書教諭を挙げる人々の、果たしてどれほどがこの言葉をはじめて見聞きした瞬間に、僅かばかりでも違和感のような感覚を覚えずにいられるであろうか。無論、その職業について具体的に学び始めればすぐに、この言葉が意味するものが、もう随分と以前から、教育の現場では大切な要素であったことに気づくのではあるが。
本来、子どもは読書好きである。─この言葉を何ら間違い無いと、すんなり受け入れてしまうのは、やはり自己の体験がそう思わせるようである。そう、読書は子どもにとって楽しみの一つであり、自分の中の小さな世界と、その周りにある大きな世界とが、だんだんと繋がっていく、そんな感覚に夢中になれるちょっとした冒険でもあるのだ。
ではなぜ、子どもの読書離れが起こっているのだろう。それは誰にとっても明白な通り、家庭や学校、社会を主体的に構成している大人たちの影響にほかならない。とはいえ、大人たちの全部が読書嫌いなわけではないのだから、そこに必ず子どもたちを本来の読書を楽しむ世界へと導くヒントがあるはずだ。そんな願いにも似た思いをもって「読書の指導方法」を考察する。
子どもたちが本当は楽しみたくて仕方がない読書から離れてしまっているのは、その機会を失ってしまったからである。子どもが何かを失うということは、大人にそういった意図があろうとなかろうと、大人による些細なきっかけによっていとも簡単に起こってしまうのである。だとすれば、そんな子どもたちに機会を与え、取り戻させてあげられる大人が必要だ。特に子どもたちと多く接する学校司書や司書教諭は、子どもたちにとってそういう存在であることを目指すべきであろう。
様々な研究結果からも、自由読書が子どもたちの母国語の習得に大きな成果をもたらし、将来的には情報活用能力の発達にも貢献することが明らかにされている。なるべく若い時期、幼児期から自由読書の機会を子どもたちに与えるためにも、保護者である大人たちへの啓蒙活動等が重要であると考える。
しかし現実には、機会を奪われたままその時期を過ぎてしまった子どもたちは多い。それでも希望的に考えるなら、大人から受ける影響が少なくなる時期を迎えれば、そこではじめて自由読書を満喫する可能性もゼロではない。ただし過大な期待はできないし、たとえそれから機会を得たとしても、情報活用能力の獲得等を考えれば、そこでのハンディキャップも小さくないであろう。
また、そのような子どもたちには、機会だけを作っても、すでに読書の楽しみを主体的に感じられなくなっているのだとすれば、すんなりと自由読書へは向かわないであろう。そこで必要なのは、導き手である大人が、自ら読書を楽しむ姿を見せることなのだと考える。子ども同士が影響しあうこともあるが、それでは逆に読書好きの子どもが不読児童を見習ってしまうということも考えられる。率先して大人が楽しんでいる姿を目にすれば、子どもは影響を受けるのである。具体的な方法としては、特に不読児童の初期段階においては黙読が効果を発揮するであろう。ただ黙って、しかし明らかに夢中になって本を読む大人は、そういう子どもたちにとっては大きな衝撃とともに影響を与えるのだ。そして、少しずつ興味を示し、自ら読書欲を感じるまでになったら、学年の担任教師たちがそれぞれのおすすめの本にコメントを添えて紹介するブックリストを作成し、子どもたちやその保護者に配付するのも効果的であろう。学校図書館に新しく本が納入されるたびに、まず教師たちがそれぞれの興味と子どもたちへの愛情をもって選び、自ら読んで子どもたちへの紹介文を書くことは、副次的に教師たちの意識改革にもつながり、教師、児童双方の学校図書館への親しみを生み出すという効果も期待できる。読書が楽しそうだと思い始めた子どもにとっては、具体的に本との出合いを示してくれるブックリストは、まるで宝探しの地図のような好奇心の対象となるに違いない。
まず、子どもたちの目に輝きを与えるお手本になることを目指したい。
科目:読書と豊かな人間性
課題:読書の指導方法について事例を挙げて説明しなさい。
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