陳腐な論評をしてしまう人物に大臣の資質があるだろうか
(画像:©文部科学省)
本稿は、タイトルどおり政治家批判であると同時に、マスコミの目に余る世論迎合ぶりに対する批判であることも含みおいて読んでいただきたい。
大相撲尾車部屋の十両、若麒麟が大麻取締法違反容疑で逮捕されたことを受け、この問題に関して各方面からの反応が、ここ数日報じられている。
当然のことながら、誰がなんと言おうと構わないことではあるのだが、大臣となると話が違う。
日本相撲協会を監督する立場である塩谷文科相が「解雇は軽すぎる印象」との発言をしたことをきっかけに協会側は処分の再検討の可能性を示唆するに至った。
一見、当然の流れのように思われるかもしれないが、本当にそうだろうか。
監督する立場でありながら、塩谷はこの問題について真剣かつ総合的に判断して発言したのだろうか。
私には甚だ疑問である。
─ そんなこと言うなら、監督してるあんたは、どんな責任を取るんだ?
もちろん、私はこの問題が管轄大臣の引責に当たるものとはこれっぽっちも思っていない。
そんな問題ではないからこその疑問なのである。
総合的な判断というのは、事の重大さに呼応する必要がある。
本件の場合で言えば、対象となる人物のポジションと罪状である。
本件に関する多くの論評は、一般企業との比較によるものだ。それが一般にもわかりやすいからであろう。
これについては否定するものではないが、であるならば、特にマスコミにはより正確な比較をしてもらいたいものだ。
どんな一般企業であれ、我が国では監督官庁が存在している。
たとえば、通信関連企業の平社員の人事にいちいち総務相が口を出すだろうか。無論出さない。
対象者が役員であるとか、犯した罪が世間に甚大な被害を与えるとか、一般市民を恐怖に陥れるものであれば別なのだが。
大麻取締法違反(共同所持)という罪をどう捉えるかは、意見の分かれるところかもしれない。
ただし、我が国ではこれを正当に判断するのは裁判所の役目である。
マスコミでも世論でも行政でもない。
大麻が軽い罪だとは、決して思わないが、痴漢で捕まった公務員が訓告や停職といった処分で済まされていることのほうが、私にとっては憤慨に値する。
被害者が存在する罪なのか、そうではないか、ということである。
当然、若麒麟の犯した罪もその延長線上にいずれ被害者を生む可能性が多いにあるとは言えるが、少なくとも現時点では、警察も司法もそれを未然に防ぐ形で動いているのだ。
量刑は裁判所が判断すればよいことではあるが、裁判所が判断の根拠とする法律は政治家が作り、その政治家を選出するのは、主権者たる我々国民なのである。
その意味で世論とは重要視されるべきものであるのも事実であるが、それが帰結するところは決して感情論であるべきではない。
マスコミが報じる一般世論が感情的であるのは構わないし、それは帰結点ではないのだから、むしろ当然とも言える。
だが、マスコミ自体や行政の責任者までもが感情的な論説で済ませてもらっては困るのだ。
本件では退職金(力士養老金)の扱いが焦点となっているが、つまりこれは刑罰とは別の社会的制裁をどうするかという意味をもつ。
力士が一般人に比べ、やや公的な存在であり、たとえば青少年に与える影響といった点からも甘くてよいものではないだろう。
しかしながら、退職金を云々するのなら「渡り」を認めてきた総理や、実行してきた役人たちのもつ公的性質を思えば、十両のそれは比較にならない。
ましてや、連日これだけ報道されているのだ。若麒麟ごときの有名税はすでに支払済みと見るのが真に公平であろう。
(当然ながら、一般人が大麻取締法違反容疑で捕まろうと、まずこんな報道はされない)
大臣が口を出すなと言うつもりもない。
監督官庁の長として口を挟むべきは、日本相撲協会のあるべき姿なのであって、平幕にすら満たない一個人の人事ではない。
そもそもやくみつるらの強硬論*1を伏して(養老金の出ない除名ではなく)解雇という結論に至らしめたのは、吉野準(=元警視総監・相撲協会監事)の「伝家の宝刀を軽々に抜くべきでない」との意見によるところが大きいとのこと。
吉野は、問題にすべきは現行制度の不備、との趣旨でも発言しているようだが、これこそが正論で、今後同様の事案が起こった場合に備え、将来のあり方として、制度を見直す必要は多いにあろうが、現時点で起こっている問題に慌てて制度を変更し、その制裁を加えるというやり口はどう考えても(法治国家であればこそ)行き過ぎなのである。
裁判員制度が施行された現在、「罪を憎んで人を憎まず」の精神を肝に銘じたい。
- *1:
- こういった強硬論の存在自体の意義は認めるものである。
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