赤坂タイムラー

人命は地球より重いのか

公開日
文責
アカサカ ヒカル

オバマの支持率が急速に下降している。
現・国務長官クリントンがファーストレディ時代に目論み、当時は実現できなかった民主党(一部右派除く)の悲願、医療保険制度改革に対する米国内世論の反発が、この下降の主な原因だ。

ある種、伝統的に、米国には我が国のような国民皆保険の制度がない。
原則的に、個人の怪我や病気の責任は個人が負う、というのがかの国の国民の基本的なメンタリティなのだ。
オバマの改革に反対する民衆曰く、

政府は余計なことするな! ほっといてくれ!!

どうせ増税するんだろ! そんなの許さん!!

「自分のことは、自分でやるぜ」という気概を感じる叫びである。

とはいえ、オバマは改革と同時に増税をしないことも公約している。
より正確には、所得が25万ドル(約2350万円)以下の世帯に増税とならないようにする、というものだ。
にもかかわらず、保険制度改革=増税、と大多数が勘付く米国民の洞察力には少々驚かされるのだが、これにはもちろん裏がある。
共和党による政権・政策批判のキャンペーンである。

中立的に見るならば、おそらくは、このネガティブキャンペーンは政策のもつ一側面を「自由を制限する」と表現することによって、オバマの意図をすり替えてしまったというのが実際なのだろう。

しかし、仮にこの実際を認識したとしても余りある程に、自由を制限されることが我慢ならないのがかの国の国民性なのである。
この国民性に違わぬキャンペーンを展開した共和党の戦略勝ちと言えよう。

なんでもかんでも国に求めたがるニッポン人には不思議な感覚かもしれない。
しかし皆保険と言っても、制度としてはほぼ破綻しかけているのが現状で、とても威張れる代物でもないのが現実だ。

まさに政権が瓦解した今日、日本が抱えている最大の問題は少子高齢化である。
この中でも特に高齢化についてより根源的に考えてみる必要があろう。

そもそも、本当に「人命は地球より重い」のだろうか?

この言葉は、自民党の中でも最右翼と言ってもよい第87,88,89代宰相小泉純一郎の政治家としての親父であり、第91代宰相福田康夫の実の親父である第67代宰相福田赳夫が、1977年、ダッカ事件の人質解放に際して、発したものである。
いわば、テロリストに屈する形で要求を呑まざるを得なかったことに対する言い訳的に使われたものであるが、このフレーズがあまりに哲学的な響きを帯びていたために、その後、むしろ左側の論理で使われやすくなってしまっているようにも思える。

確かに人一人の生命は尊ばれるべきものであるし、国家の責任者が自国民を守るのは当然の責務である。
この意味で福田赳夫の決断は称賛に値する。
人命が取り引きの材料にされるような究極の局面にあっては、いかんなく発揮されるべき理念なのである。

一方で、医学の進歩によりヒトはその寿命をぐんぐん伸ばしている。
このこと自体も、人間の欲望という視点から、決して悪いことではない。
現に、皆保険ではない米国でも高齢者に対する医療の提供は保証されている。

幼児や高齢者といった、明らかな弱者でない限りにおいて、無尽蔵の医療を他者に求めるのは理不尽なのである。

「生命」は、すべからく大切だが、それを個で捉えるのであれば、「自由」のほうがより大切と言い切れる気概が、今、人類に求められている。

今日、オバマの党と同じ名前の党が我が国でも政権を担おうとしている。
かの国の民主党とは似て非なるものだが、この党もいわゆる「大きな政府」を目指す傾向を大いに孕んでいる。
我が国民は、この党の政権運営を注視し、新たな為政者が美辞麗句で覆い隠して、隙あらば自由を奪おうとするならば、間髪なくNO!を突きつける用意を怠ってはいけない。