赤坂タイムラー

放送人への警鐘

公開日
文責
アカサカ ヒカル

番組評 – 「こだわり人物伝」/ 某国営放送(教育)

今しがた、放送していた森有正の回は酷い。これ以外の回を観ているわけではないので、比較的という意味ではなく、全く酷い。
貴局の知的好奇心に応えようとする姿勢、試みは決して悪くないのだが、今回の片山なる人物によるあまりにもいい加減な解説は聞いていて嫌悪感すら覚える。
大衆へ向けて、「知的好奇心に応える」形で何らかの解説をするのであれば、その解説自体に一定の水準を求めるべきだ。
一体、片山はどこまで森をわかってしゃべっているのか。
無論、会ったことのない人間について話しているのはわかるが、片山の弁は、単なる私見に過ぎない。
この程度の私見をもってして、私の「こだわり」人物伝などと言って、無防備な大衆に実際とはかけ離れた情報を垂れ流すなど、現代社会にあってはならない蛮行だ。
歴史的な人物について、「実験的に」という前提で、特定の現代人がその私見をもって、表面的な史実とは別の角度から洞察をするということであれば、それも良いだろう。
しかし、この回の放送については、仮にこの前提に立ったとしても低レベルと言わざるを得ない。
ましてや、対象としているのが哲学者である。
哲学者のある思想を、入門的に解説するような番組はあってもよいが、ならばもっと全く別な表現になるはずだ。
よくよくその思想を理解すらしていない某現代人が、さもそれが真実であるかの如く語るようなスタイルは適さない。
片山の理解が十分でないがゆえに、すべての解説の語尾が曖昧形であり、そのことをもってして、解説者として、あるいはそれを流す放送局として、なんら断定しているつもりはない、などと言おうものなら、それは詭弁である。
この事実に気づくのは一部の知的な者にかぎられ、その類いの者は、好んでこのような番組は観ない。
この番組が知的には未熟でありながらも、「知」への欲求をもつ者へ向けられたものである(少なくとも貴局の謳い文句はそうである)以上、真の知とは言えない代物を喧伝する傾向が強いのだから。