哲学の最近のブログ記事

危なっかしい国家

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特別調査委の調査って一体何の権限があってやってんの?

これって普通に考えたら、
会社が社員に、「個人使用のケータイ、とりあえず全部出せ。預かる!」
って言ってんのに等しいよね。

国産ケータイメーカーは同意したって?
本当に?
海外メーカーが非協力的だと、調査が長引くって?

国産メーカーさん、誰がそんなん許可したの?
総務省?経産省?
ありえんでしょ!?

よその国からみたら、超ムバラク的じゃん?
海外メーカーさん、賛同するわきゃないじゃん?
力士は、おぼろげに公人かもしんないけど、それって人権無視だよね?
そんな国、今どき誰が認めるのん?

まったく「?」だらけだよ。
誰がこんな国にしたんだ?

そもそも国民とか、相撲ファンとかは、そんなの求めてないよねぇ?
マスコミ? スポンサー? 誰? 誰?

まぁ、よからぬことをした力士が何人かいたんでしょ。
でも法を犯したわけじゃないんだよね。
警察や検察の管轄じゃないもんね。
さすがにそんなヒマもないもんね。
仮に賭博絡みなら、調査委とかじゃなく、直接司直が手を下してよ。
なんで意味不明なおっさんたちに任せるのさ。
てか、犯罪の疑いならおっさんたちが告訴なり告発すりゃ済むことだよ。

直轄の文科省さん、何してんの?
見守るしかできないの?
それとも、後押ししちゃってんの?

そんなことは許可できない、てのが正しい国家のあり方じゃないの?
今のあんたら、国民のことを守らない、って言い切っちゃってんのと同じだよ!
いい加減、きづけば?

カンフル?

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菅古。

駄目総理の脳味噌は古くさいの意。


率先して柳田を辞めさせない愚かさ。

コモンセンス

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常識とは、

ある概念を、一面的あるいは歪曲的に切り取り、
一般に流布しやすくする表現手法である。

国母くんの何が悪い⁇

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なんだかこのニュース、週末にかけて、当初よりオオゴトに扱われてるようなので、ツッコんでおこう。

マスコミ&巷のみなさん。 一体その若者が、どんな悪さをしたって言うんだい? 申し訳ないが、このニュースが報じられるまで、私も彼のことは何一つ知らなかった。 今だって、特徴的な顔と苗字くらいしかわからない。 競技種目だって、スノボっぽい何か...程度の理解だ。

要するに、自分がさも大人だと勘違いしてる輩が、服装が気に食わないって思ってるってことでしょ? んで、その釈明の態度がさらに気に食わなかったから、こんな騒ぎになっちゃったわけ? なにそれ?

まったくいい加減にして欲しいもんだ。 大の大人が寄ってたかって、一人の若者によくもまぁ。みっともない。 JOCの会長だか委員だかしらないけど、言い出しっぺの輩は、身の程わきまえろ。 それに迎合するマスコミもそもそも阿呆か。お前らそんなに、ネットの「炎上」がうらやましいわけ? お前らがやってること、言ってることは、結局「炎上」の火種まいてるのと一緒だよ。 ネットならまだ、反論も出る分マシじゃん。

ニッポン人の全員とは言わないけど、この馬鹿マスコミの論調に同調したヤツ。お前もだよ。

呆れたのは、パンツェッタ。ニッポン人の品性を最もおとしめたムーブメントに加担した外国人。 あいつまでもがこの論調を支持してるんだから、意味不明。

このニュースのもとになった彼の言動をつぶさに見たわけじゃないけどさ。 まぁ、論調聞けば、想像はできるよ。 よしんば、この想像をはるかに超える悪態だったとしても、私は自説を曲げる気なんてさらさらない。 だってさ、どう考えても犯罪を犯したわけじゃないんでしょ?

罪人でもない者を、寄ってたかって責めること自体を恥じる気持ちはないのか? 世の中には、バッシングが容認される場合もなくはないだろう。

私の考えるバッシングの然るべき対象となりえる者は次のとおり。

  1. 一般とはかけ離れた財産を有している
  2. 社会通念上の名誉や地位にある
  3. いい歳こいてる

言っておくが、これに当てはまれば、何言っても構わないってことじゃないよ。 特に1.2.が当てはまれば、そこそこ反論もできるでしょ。ってこと。 反論あるなら、いつでも言ってこいよ、ジローラモ。

はっきり言って、3.はおまけのようなもの。 朝青龍なら、2つ当てはまるよね。国母くんは1コも当てはまりませんけど? 年齢で判断したがるのは、ニッポン人の悪いクセのヒトツだけど、上を厳しく判断するならまだしも、若年層を叩くなんてのは卑怯の極み。

「オリンピックだから」「国の代表」だからと言いたいのかもしんないけど、だからなんだよ?って感じだよ。 そんなこと言ってるヤツに限って、五輪の商業性を批判してみたりさ。 昨日まで知らなかったヤツだろ?それが代表? もちろん、彼は代表なんだよね。だったら、むしろ少しは敬意を払えよ。

「青少年への悪影響」とかってのもいい加減にしろよ。 お前らのやってる事を見習って、イジメが蔓延するんだよ。 お前らが「あんな身なり」って思うその子が、一つのことにがんばって、結果出場を果たしてんだろ?

こうなっちゃったら、彼が「金」以外だった場合、彼のパフォーマンスに悪影響を与えたお前らこそ国賊もんじゃね?

オトナたちよ。 今一度胸に手を当てて、自分がこの若者を責めるに足る生き方をしてきたのか問うて欲しい。 勘違いしちゃいけない。 もしも、それに足る者なら、決してこのニュースの論調とは一線を画すはずなのだから。

あの親にして市橋あり

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遂に市橋が捕まった。
捕まった途端に、急に饒舌になった市橋の両親の非道な感覚には、違和感満載だ。

親に刑事的な責任は問えないし、問うつもりもないが、遺族に対して心から申し訳ないという気持ちはないんだろうか?
少なくともマスコミが垂れ流している顔の隠された映像による市橋父母の言動には、欠片ほどもそれが感じられない。
マスコミは続けて当たり前のように被害者の両親の映像、コメントを流している。
流すだけで、この二者の感覚的落差については、一言も触れない。
感想は視聴者にお任せってことか?
無責任で無感情で無神経な市橋父母の言動をただ垂れ流されても、観てる側には虫酸が走るだけだ。

それどころか、番組(コメンテータ)によっては、市橋の両親に同情的ですらある。
確かにとんでもない親不孝者ではあるが、法治国家において社会的にその次元で済ませていい話じゃないだろう。

刑の確定を待たず、敢えて言おう。

市橋の親の言い分を聞くにつけ、このDNAが鬼畜を産み落としたというのが真実だろうと感ずる。
恥を知れ。

第三次角福戦争

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鳩山の資金問題なんか、どうでもいい。
限度はあるにせよ、時の総理に大なり小なりそんな話があるのは、いわば必要悪というものだ。

そんなことより問題は小沢の動きだろう。
結局、小沢が今やってるのは、民主党を森以前(小泉より前)の、最も自民党的だった自民党にしてしまおうということだ。

民主が経世会ならば、今こそ自民は小泉路線を実効化すべく備えよ。
もう、こうなったら第三次角福戦争へと突入だ。

言っておくが、私自身は、若手と言われている代議士たちより(若干)若い。
本稿はこれを踏まえて心して読んでいただきたい。

何やら、自民党再生会議といった討議を活発に行っているようで、大いに期待したいと思って見守っているところなのだが、本日の一部報道によると、「総裁」を「党首」に改めようとの意見が出されているらしい。

「党首」という呼称は、極々一般的なものである。
おそらくは、欧米語に訳すならば、「総裁」も「代表」も「委員長」も一語(程度)に尽きてしまうことだろう。

ここで、自民の若手に今一度しっかりとした再考を促したいのは、本来ならば、自民を支持している層の求めている思想、生き方、考え方、である。
つまりは、「保守」なのである。
保守的思想が、年配者だけのものだとでも考えているのだろうか?
もしそうだとしたら、奴らはとんでもなく間違っている。
もしそうだとしたら、奴らが自民党である必要もない。

先日、日本語に対するアンケート調査の結果、母国語を大切にしたいと考える若者が、かつてない割合で増えたという事実を奴らは知らないのであろうか。

「党首」が極々一般的であるがゆえに、やや軽薄な印象を感じてしまうのは、私だけではなかろう。
この呼称を使っているのは、社民をはじめとした、弱小(あるいは僅少)勢力に限られている。
僅少であるがゆえの慎ましさを感じるものではあるし、現時点でこの呼称を使っている党に対しては、何らの違和感も感じないし、むしろ好ましく感じるものである。

しかしながら、一体、自民党は、弱小を目指すのか?
若手代議士諸兄に問いたい。
─ お前ら、本当に、そんなつもりなのか????

現代の我が国において、真に保守と言える政党は、自民以外にないのである。
そして、当然のこと、国民(=有権者)の半数、もしくはそれ以上は、時代がどれほど移り変わろうとも保守的思想を是としているのである。

たまさか、国語力皆無の総理が史上最大に支持を減少させてしまったからといって、本来の支持層に背を向ける気なのであろうか?

再生会議というのならば、呼称云々というようなつまらない論議ではなく、もっと本質的な問題について争ってほしいものだ。
無論、それらの点についても、当然議論しているのではあろう。おそらくは、この呼称論議そのものは、若手の中でもごく一部の、思想も主義もない(=政治の資格がない)愚者が、血迷っただけの愚論だろうと信じたい。

「総裁」以下、多種多様な表現をもつ日本語の奥深さをしっかりと噛みしめてほしい。
これらの表現には、それぞれに微妙なニュアンスを漂わせつつ、れっきとした意味合いがこもっているのだ。

願わくは、自民が自民でなくならないことを強く望む。

放送人への警鐘

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番組評 - 「こだわり人物伝」/ 某国営放送(教育)

今しがた、放送していた森有正の回は酷い。これ以外の回を観ているわけではないので、比較的という意味ではなく、全く酷い。
貴局の知的好奇心に応えようとする姿勢、試みは決して悪くないのだが、今回の片山なる人物によるあまりにもいい加減な解説は聞いていて嫌悪感すら覚える。
大衆へ向けて、「知的好奇心に応える」形で何らかの解説をするのであれば、その解説自体に一定の水準を求めるべきだ。
一体、片山はどこまで森をわかってしゃべっているのか。
無論、会ったことのない人間について話しているのはわかるが、片山の弁は、単なる私見に過ぎない。
この程度の私見をもってして、私の「こだわり」人物伝などと言って、無防備な大衆に実際とはかけ離れた情報を垂れ流すなど、現代社会にあってはならない蛮行だ。
歴史的な人物について、「実験的に」という前提で、特定の現代人がその私見をもって、表面的な史実とは別の角度から洞察をするということであれば、それも良いだろう。
しかし、この回の放送については、仮にこの前提に立ったとしても低レベルと言わざるを得ない。
ましてや、対象としているのが哲学者である。
哲学者のある思想を、入門的に解説するような番組はあってもよいが、ならばもっと全く別な表現になるはずだ。
よくよくその思想を理解すらしていない某現代人が、さもそれが真実であるかの如く語るようなスタイルは適さない。
片山の理解が十分でないがゆえに、すべての解説の語尾が曖昧形であり、そのことをもってして、解説者として、あるいはそれを流す放送局として、なんら断定しているつもりはない、などと言おうものなら、それは詭弁である。
この事実に気づくのは一部の知的な者にかぎられ、その類いの者は、好んでこのような番組は観ない。
この番組が知的には未熟でありながらも、「知」への欲求をもつ者へ向けられたものである(少なくとも貴局の謳い文句はそうである)以上、真の知とは言えない代物を喧伝する傾向が強いのだから。

人命は地球より重いのか

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オバマの支持率が急速に下降している。
現・国務長官クリントンがファーストレディ時代に目論み、当時は実現できなかった民主党(一部右派除く)の悲願、医療保険制度改革に対する米国内世論の反発が、この下降の主な原因だ。

ある種、伝統的に、米国には我が国のような国民皆保険の制度がない。
原則的に、個人の怪我や病気の責任は個人が負う、というのがかの国の国民の基本的なメンタリティなのだ。
オバマの改革に反対する民衆曰く、

政府は余計なことするな! ほっといてくれ!!
どうせ増税するんだろ! そんなの許さん!!

「自分のことは、自分でやるぜ」という気概を感じる叫びである。

とはいえ、オバマは改革と同時に増税をしないことも公約している。
より正確には、所得が25万ドル(約2350万円)以下の世帯に増税とならないようにする、というものだ。
にもかかわらず、保険制度改革=増税、と大多数が勘付く米国民の洞察力には少々驚かされるのだが、これにはもちろん裏がある。
共和党による政権・政策批判のキャンペーンである。

中立的に見るならば、おそらくは、このネガティブキャンペーンは政策のもつ一側面を「自由を制限する」と表現することによって、オバマの意図をすり替えてしまったというのが実際なのだろう。

しかし、仮にこの実際を認識したとしても余りある程に、自由を制限されることが我慢ならないのがかの国の国民性なのである。
この国民性に違わぬキャンペーンを展開した共和党の戦略勝ちと言えよう。

なんでもかんでも国に求めたがるニッポン人には不思議な感覚かもしれない。
しかし皆保険と言っても、制度としてはほぼ破綻しかけているのが現状で、とても威張れる代物でもないのが現実だ。

まさに政権が瓦解した今日、日本が抱えている最大の問題は少子高齢化である。
この中でも特に高齢化についてより根源的に考えてみる必要があろう。

そもそも、本当に「人命は地球より重い」のだろうか?

この言葉は、自民党の中でも最右翼と言ってもよい第87,88,89代宰相小泉純一郎の政治家としての親父であり、第91代宰相福田康夫の実の親父である第67代宰相福田赳夫が、1977年、ダッカ事件の人質解放に際して、発したものである。
いわば、テロリストに屈する形で要求を呑まざるを得なかったことに対する言い訳的に使われたものであるが、このフレーズがあまりに哲学的な響きを帯びていたために、その後、むしろ左側の論理で使われやすくなってしまっているようにも思える。

確かに人一人の生命は尊ばれるべきものであるし、国家の責任者が自国民を守るのは当然の責務である。
この意味で福田赳夫の決断は称賛に値する。
人命が取り引きの材料にされるような究極の局面にあっては、いかんなく発揮されるべき理念なのである。

一方で、医学の進歩によりヒトはその寿命をぐんぐん伸ばしている。
このこと自体も、人間の欲望という視点から、決して悪いことではない。
現に、皆保険ではない米国でも高齢者に対する医療の提供は保証されている。

幼児や高齢者といった、明らかな弱者でない限りにおいて、無尽蔵の医療を他者に求めるのは理不尽なのである。

「生命」は、すべからく大切だが、それを個で捉えるのであれば、「自由」のほうがより大切と言い切れる気概が、今、人類に求められている。

今日、オバマの党と同じ名前の党が我が国でも政権を担おうとしている。
かの国の民主党とは似て非なるものだが、この党もいわゆる「大きな政府」を目指す傾向を大いに孕んでいる。
我が国民は、この党の政権運営を注視し、新たな為政者が美辞麗句で覆い隠して、隙あらば自由を奪おうとするならば、間髪なくNO!を突きつける用意を怠ってはいけない。

不満ハ向上ノモト。

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向上するつもりがないかしたくない場合を除いて、

不満がないことを素晴らしいなんて思ってはいけない。

向上し尽くした ― と言える人間など存在しないに等しいことは言うまでもない。